晴風 (架空艦-1)

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晴風
Amatsukaze II.jpg
陽炎型駆逐艦9番艦「天津風
基本情報
建造Flag of Japan.svg 大日本帝国
運用横須賀女子海洋学校
艦種航洋直接教育艦
型名陽炎型
母港横須賀港
艦歴
起工1937年11月4日
最後5月5日 横須賀港にて
主要目
基準排水量2033t
満載排水量2553t
全長118.5m
全幅10.8m
吃水3.8m
主機艦本式タービン2基2軸
主缶ロ号艦本式缶3基
速力37.0kt
航続力5000/18.0kt
乗員30名
砲熕兵装
艦砲12.7cm50口径連装砲3基
(第一次改装:10cm65口径連装砲3基)
(第二次改装:5inch54口径単装速射砲Mk.39)
魚雷61cm四連装魚雷発射管2基
機銃20mm単装機銃
航空兵装
電波兵装
電探55式対水上探知機
69式航海探知機
装甲兵装
その他装備


晴風 (はれかぜ)は、ハイスクール・フリートにおける横須賀女子海洋学校所属の航洋直接教育艦、架空艦。艦番号はY467

高温高圧缶

史実では天津風に試験搭載され高温高圧缶が、搭載されている。最大速力を発揮するとすぐに故障するため安定性に欠ける。

艦歴

起工日、進水日等は不明。マル三計画仮称第32号艦と推定される。また第33号艦は「秋風」、第34号艦は「沖風」である。

4月5日、第二十一期生のうち、30名と一匹の猫、五十六を乗せ横須賀港を出港。合流地点、西ノ島沖へと向かう。6日、機関が故障し、突如教官艦さるしまから砲撃を受ける。これに対し晴風は魚雷(模擬弾)を用いて反撃。さるしまを無力化しつつ、鳥島沖への撤退に成功する。しかし、教官艦を攻撃した代償は大きく、晴風は反乱したと認められる。8日、ドイツからの留学生艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」より砲撃を受ける。機関を不完全燃焼させ煙幕として利用し、これを切り抜け、同時にシュペーの副長であるヴィルヘルミーナ・ブラウンシュヴァイク・インゲノール・フリーデブルク (Wilhelmina Braunschweig Ingenohl Friedeburg)の救出に成功する。また翌日9日、東舞鶴男子海洋学校所属の潜水直接教育艦「伊201」の奇襲も掃海器具を用いて切り抜ける。

13日。晴風の反乱の容疑は晴れ、同時に「明石」及び「間宮」からの補給を受け、同時に主砲を12.7cm50口径連装砲から10cm65口径連装砲に換装した。これにより実口径は小さくなっているものの砲身が伸び、射程が伸びた。また、ここから晴風は「武蔵」の捜索を開始する。

15日、捜索過程において近海の掃海を行う。26日、民間船しんばしの乗員乗客の救助活動を行う。ここで新たに多聞丸 (猫)が晴風に乗艦する。また同日「比叡」を発見するも、潮の満ち引きを利用し座礁させ無力化することに成功する。27日、シュペーを再発見。これに奇襲を仕掛け、制圧する。

そして5月5日。武蔵を発見する。これに対しブルーマーメイドよりTU-01隊が派遣されるも全滅。晴風が単艦で対処をしなくてはならなくなった。しかし12時頃、シュペー、比叡を含む救援部隊の援助を受け、操舵不能になりながらも武蔵を強制停止、制圧に成功する。同日、晴風は救援部隊に牽引されながらも無事横須賀港へ寄港。寄港後、艦尾が浮き始め、やがて赤い艦腹が露となり、艦首からゆっくりと沈みゆく姿を生徒30名と猫2匹の見守った。

晴風II・沖風

沖風 (おきかぜ、沖風改、晴風II)は、ハイスクール・フリートにおける横須賀女子海洋学校所属の航洋直接教育艦、架空艦。艦番号はY469。正式名称は「沖風」であるが、校長の許可により「晴風」と呼称することを許可されている。初代晴風との差別化の為に晴風IIと呼称されることが多い。

上記の通り、多大な戦果を挙げて横須賀に沈んだ晴風であったが、当該艦艇に所属する生徒たちの行き場がなくなってしまう。生徒である以上学校は行き場を作るべく沈んだ晴風を引き上げ、サルベージを試みるが船として使い物にならず廃艦となる。そこで代艦として用意されたのが仮称第34号艦「沖風」である。学校はサルベージの為に引き上げた晴風から再利用可能なものを再装備、また水雷方位盤や双眼鏡、羅針機などを晴風と同型のものを揃え、艦番号以外はほぼ晴風と同様の艦が、生徒に割り当てられた。

同じ陽炎型駆逐艦ということもあり、ほぼ晴風と同性能であるが以下の点において差異が見られる。

  • 高温高圧缶が搭載されていないため、速力が35.0ktと晴風より2kt遅い、他の陽炎型と同じ速力になっている。
  • 主砲が15cm55口径単装砲に換装されている。

艦歴

登場作品

外部リンク